源頼朝と共に生きた男【 土肥実平 】の歴史を後世に伝えよう【 土肥会 】
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第4回 源頼朝・土肥実平 開運出陣祭 開催!

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  源頼朝・土肥実平 開運出陣祭』の第4回目になります。

 横手市満福寺の本尊が土肥実平の念持仏か?
    23日に土肥会開運出陣祭を開催

 

  土肥一族の史跡保存と顕彰を行う土肥会(深澤昌光会長)では、頼朝・実平の出陣の日である
毎年8月23日に実施する湯河原町・真鶴町・湯河原町教育委員会後援の「開運出陣祭」への参加を
呼びかけている。

 予定していた横手市からの講師が急病のため、土肥会加藤雅喜理事が、予定されていた講演内容
を踏まえ、新たに「横手市増田町満福寺で信仰されてきた仏様は、土肥実平の念持仏か?」
と題して講演することになった。


 加藤講師によると  

       
(1)土肥実平の持仏堂のあったこの城願寺のある場所から、ビャクシン横を出陣して行った頼朝・実平
ら平家追討軍は、多勢の石橋山で敗れたものの、土肥・箱根山中に隠れ、真鶴から房総へ逃げて態勢
を整え、平家を倒して鎌倉幕府を開いたことは皆さんが知っています。

 実平は、平家や奥州藤原氏を倒して郷土へ戻り、持仏堂を改修拡張して戦いで倒れた者を弔い平和
を祈る「城願寺」としたのですが、彼の死後、和田義盛の乱に加勢した実平の孫一族は北条氏に敗れ、
この地を追われて城願寺も衰退しました。

 土肥実平の念持仏や城願寺で開眼された本尊仏像の行方は分からなくなりました。室町時代以降に
再興された城願寺には新たな本尊を祀るしかありませんでした。

 私は、実平が毎日祈った念持仏か最初の本尊として信仰された本尊の行方に関心を持っていましたが、
今回、これではないのか?という仏像を紹介します。


(2)今春のJR東日本のTVCMで、吉永小百合さんが訪ねた蔵造りの商家が並ぶ秋田県横手市増田町。

  その増田町の大寺満福寺には「本尊阿弥陀如来像は、室町時代に城願寺から運ばれた。」と伝わります。

  もしそれが事実なら、その満福寺本尊は城願寺が衰退した時に、土肥氏の子孫が自分の城下町の増田
に建立した満福寺に移した、土肥実平の持仏堂の念持仏か城願寺を建立した時に開眼した仏像である
可能性が高いことになります。

  満福寺本尊は堂々とした阿弥陀仏で、鎌倉時代の彫刻として秋田県重要文化財に指定されているもの
なので簡単には移動できません。

  しかし今回は、箱根湯本「吉池旅館」ゆかりの仏像画家で、火災で消滅する前に法隆寺金堂壁画12面
を三度も模写した名手鈴木空如が、その本尊を描いた「金泥阿弥陀像模写図」を横手市の郷土史家から
借用して、城願寺で披露法要を行ってから、お話しできることになりました。
  
(3)837年前に実平・頼朝が祈った出陣した仏像か、城願寺最初の仏像か?

   写真、資料を用意して分かりやすくお話ししますので、城願寺の御檀家様はじめ湯河原町民、
   小中高校生の参加を期待しています。

 と話している。

(4) その第4回頼朝・実平開運出陣祭は、雨天実行で、8月23日(水)城願寺にて、

   13:00〜受付(資料代大人三百円・学生小人無料、)13:30〜開会行事。

   13:45〜 満福寺本尊写し鈴木空如筆「金泥阿弥陀如来模写図」法要。

   13:55〜講演「横手市増田町満福寺で信仰されてきた仏様は、土肥実平の念持仏か?」加藤理事。
      
      その他、城堀祭囃子保存会演奏、焼亡の舞存会「焼亡の舞」、頼朝会「出陣の歌」も披露される。

15:45〜16:15で @実平遠平像  A伊能忠敬地図測量隊も参拝した土肥一族墓  Bビャクシン 

             C七騎堂ほかの寺宝史跡見学説明が行われる



日時: 平成29年8月23日(水曜日) 13時受付開始〜16時分散会
場所: 城願寺  
大人300円 小人無料
実施内容: 上記参照
お問合せ: TEL:土肥会事務局 070-5581-1012